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ブラジルと日本の歌の音域

 
2013-04-18 12:08 Good(2) Comments(0)
in Music - 音楽
Musical score

ブラジルと日本の音楽を聴いていると特に耳につくことがある。

それはメロディの音域の違い。

大雑把に言うと、ブラジル音楽(Pops、Axeなど色々)のメロディは比較的低いところにあり、日本の音楽(J-POP)は高いところにある。


人が歌っていると言語が違う(発生法、声質が違う)から気づきにくい所もあるんだけど、純粋に音の高さで見てみるとこんな感じ。

ブラジルと日本の歌の音域 - Registers of Brazilian and Japanese songs
ブラジルと日本の歌の音域 - Registers of Brazilian and Japanese songs

ブラジルの男性曲。(↑=1オクターブ上)

ミ~レ↑

日本の男性曲。

ソ~ファ↑

ブラジルの女性曲。

ラ~ファ↑

日本の女性曲。

ド~シ

様々な歌をみて、総合的によく使われる音域の中心部分を強引にまとめている。どれもこの音域より上下に三度、四度程度(半音で4,5個前後)離れた音もメロディの中によく出てくるし、曲によってはそっちの音が多くでてくるものもある。

あくまで『ざっくりしたイメージ』程度にとらえて欲しい。

上の図を見ての通り、男女ともにブラジル音楽の方が低い音域でメロディが構成されていて、日本の音楽の方が高い音域にある。

特に面白い点は、日本の男性曲とブラジルの女性曲の音域がほぼ同じところ。

日本の音楽は、歌手の高音限界付近を多用して苦しそうに目いっぱい叫ぶ歌い方を用いることが多い。

ブラジルの音楽は、歌手が楽に出せる音域を多用している。だから、歌が日常的なしゃべるテンションや大声を上げるニュアンスに近い。

そのため、こういった状態になっている。


日本の音楽の歌は、なぜこんなに高くなってしまったんだろう?

ハイトーンでシャウトする海外ロックの影響が大きいのか、なぜか日本のポップシーンには『高い音が出る方が凄い!偉い!』みたいなおかしな風潮がある。

少なくとも20年前には既にあって、高音域を出せるボーカルが求められていた。

そんなこんなでメロディの音域が高いのが当たり前になってきた。

その人がどんな音楽活動をしているかが問題であるから、歌える音域が広かろうが狭かろうがその情報だけではどうということはない。

自分の音楽にとって、もっと高音域又は低音域を出せるようになる必要があると感じて、それで努力することは良いことだけど、おかしな風潮に追われただけで練習に時間を割いたり、コンプレックスを持つ必要は全くない。

ちなみに、楽器の限界に近い音域の音は、あまり聴き心地の良いものではない。

これは肉声に限らずどの楽器にも言えることで、破壊的な緊張感が強く立ってしまい、耳に圧迫感を与える。

特に日本語においては、言語自体が擦れるような締まったような搾り出すような音質のため、これの限界付近の高音域となると『苦しい!キツイ!』感がその音楽の中で一番目立ってしまう。

僕が弾いているヴィオロンでも同じで、高音の限界の音ってキャキンキャキンいって耳に痛いから使いどころが難しい。

楽曲の盛り上がりの中でライブの呼吸感と一体になってガツーンと出てくるととてもカッコイイんだけど、そんな演奏は今まで一人だけ、しかも一回だけ出来ているところを見ただけ。


ライブといえば、このメロディの音域の違いは、ライブにも影響している。

ブラジル人歌手のライブに行くと、観客と一緒に大合唱することがある。音域がナチュラルな歌が多いから一緒に歌いやすい。それで見事な大合唱になる。

日本人歌手のライブに行くと、同じように大合唱になることはあるけど、音域が高くて気楽に合わせて歌えないことがある。突然オクターブ下げて歌って無理矢理繋げたりして。高音域のメロディだと、歌手本人もライブでは歌えていない場合がよくあるから、客が歌えないのは当たり前。

どっちも盛り上がることは盛り上がるけど、こういうちょっとした違いがある。


言語による声の質感、音質の違いは歌の印象を大きく変える。

日本語は上記のような音質だから、高くなるほど苦しさがとても目立つが、ブラジルポルトガル語の場合は搾り出す感じが無く筒が響くような抜けの良さがあるからそれが無い。

日本語の場合、高い音域の声は個人的な嘆きのようなニュアンスが濃く出て、ポル語の場合、他者への訴え、呼びかけのようなニュアンスが濃く出る。

単純に聴き心地の良さで言えば、例えば同じ高さの音を日本人歌手が日本語で歌った場合と、ブラジル人歌手がポル語で歌った場合、両者とも歌唱音域が同じだとして、ブラジル人によるポル語のメロディの方が聴き易い。

とはいえ、現在J-POPで当たり前に出てくるハイトーンの声が耳に痛いからといって、それが悪いということはない。

日本のポップチューンはそれによって、はかなさ、せつなさ、阿鼻叫喚などを表現しているから、それはそれで立派な手法。

明るい曲調でもこのメロディラインにこういう高域の音を織り交ぜることによって、ただ明るいだけじゃないっていう雰囲気を作り出せる。

日本の音楽の歌の音域が高くなったのには、海外の影響や、単純に数値的に高い方が凄いとなる感覚の文化に加え、『もっと苦しみを!嘆きを表現したい!』という気持ちが原因かもしれない。

ただ僕の好みでは、もう少し、半音で2,3個ぐらい下げて、高すぎて声が細くなってしまってパンチ不足になっている部分を解消した方が聴いていて楽しい。

そういえば、高い音域で歌った方が抜けが良いという意見を聞いたことがあるけど、僕が見てきた中では、音抜けが悪い曲はまず音の重ね具合、音色の選択、配置などアレンジがおかしい場合が圧倒的に多い。


さて、ブラジルと日本の両国の歌にはこんな特徴がある。この両国に限らず、様々な国の歌を聴く時にも、その言語だけでなく言語特有の声の質感や音域にも注目すると面白い。


「耳が良い」とは



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おまけ。

日本のポップス、日本語の中にどっぷり浸かっていると歌詞、言葉の意味ばかりが頭に入ってきてしまって、声の音質、全体的な響きの特徴を把握しにくい。

しばらく日本語から離れて改めて日本の歌を聴いてみると、純粋にその歌や曲の響きの特徴を感じることができて面白い。

衝撃的だった。

『♪シャイシャイチョンツェイションシャイツィ~♪♪』みたいな甲高い声で歌っているイメージの中国語の歌を聴いた時と似たような印象を持った。

中国の歌を『甲高い声でチョイチャイチョイチャイ言ってて面白いなぁ』とか思っていたが、自分が居る日本の歌も大差なかったっていう事実に衝撃を受ける。


おまけ2。

同じ高さの音でも、男性が歌うと高く聞こえて、女性が歌うと低く聞こえる。

これは音(声)の緊張感の違いからそう感じること。

デュエットもので、女性が低いパートを、男性が高いパートを担当する場合がある。交互に入れ替わったりとか。

緊張感の違いからくる感覚的な高さの違いと、実音としての高さの違いが入り乱れておかしくなる。

あれくすぐったくて面白い。

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